自動車教習所で見られるもの

2011-02-23

本来、教育とは教育を受ける者の個性や弱点を補う立場で編成されるものだと思うが、自動車教習所で見られるものは、まさに、画一的な非合理的な内容だと思う。それは、再教育のカリキュラムの中にも表れている。スピード違反の違反者を再教育する場合でも、ほとんど初心者教習のやり直しだけで、果たしてスピード違反がなくなるのかどうかという疑問がある。当人にとってみれば、スピート違反で検挙される合理性そのものが疑わしいのであるが、本気で安全交通を説こうとするならば、精神面を重視した専門家によるカウンセリングなども必要となるだろう。もし、暴走族の問題が交通行政のジャンルだとすれば、彼らに本当に実のある生き方を教える部門が交通警察の中にも必要となるだろう。だが、そんなことにぱおかまいなく、ただ道路上の問題だから交通というように、安直な役人的発想で担当を決めているところが、教習所のカリキュラムにもある。本質を変える発想ではなく、その場だけの処理でことをすまそうというわけであるが、これでは余りにも無責任すぎるだろう。警察行政の弱点がすべての交通問題には表れているのである。

(関連)
東京の自動車学校コヤマドライビングスクール秋津校