事実を知ってからの私にとって、そのまま職場にとどまることは、まさに地獄でした。自分が使えない製品をどうして人さまに勧めることができるでしょう。このままこの職場にいては、自分ばかりかお客さまをもあざむくことになる。退職を決意するまでに時問はかかりませんでした。同僚からは、「これほど条件に恵まれた什事がほかにある?」とあきれられもしました。上司も、それは熱心に引き止めてくださいました。しかし、私の決意が変わることはありませんでした。こうして私は、苫しい仕事から解放されたのです。しかし、これですべてが終わったわけではありません。私には、それまでセールスレディーを通して化粧品をお勧めしてきた多くのお客さまへの責任がありました。「とにかく、もとの白い肌にもどりたい。きれいな肌にもどりたい!」これからは自分を実験台にして、シミを取り除く方法を見つけよう。それを紹介することで、せめてもの償いをしたいI私はそう固く決意していました。真の美容法、理想の化粧品を求めて了不Iジヤー時代に蓄えた貯金をはたいて東京に出た私は、安心して使える化粧品を求めて化粧品メーカーを訪ね歩き、当時できたばかりのエステティックサロンで施術も体験しました。また、皮尉科医を訪れたこともありました。「どこかに真の美容法、理想の化粧品があるにちがいない」そう信じて、ひたすら探し歩く日々は、まさに試行錯誤の連続でした。東京には、たしかにあらゆるタイプの化粧品があふれていました。しかし、なかなか、「これだ」というものにめぐりあうことはできませんでした。そうした試行錯誤のなかで、これなら自信を持って人さまに勧められると思える化粧‥川を見つけたこともあります。私は、その化粧品の広島地区の代理店を始めました。かつて私の言葉を信じて顔が黒くなってしまった方たちや、昔の仲間に、よいものを教えてさしあげたいという一心だったのです。お客さまはしだいに増えていき、これでやっと、がってのお客さまへの償いができるかもしれないと、私の心はしだいに軽くなっていきました。しかし、そんな気持ちもいつまでも続きませんでした。最初はいいと思っていたその化粧品に、行き詰まりを感じるようになったのです。「私自身の化粧品を開発しよう!」こうなっては、日本中探しても、自分の理想とする化粧品はどこにもありません。それなら、借り物ではない、私自身の化粧品と美容法を開発しよう?・それ以外に、同じ悩みを抱える方たちのトラブルを解決する手段はないと思いました。それから私は、化粧品の製造会社をまわり、自分が理想とする化粧品の製造を依頼することにしました。ところが、そこでまた試行錯誤をくり返すことになりました。「原料にはこれとこれを使って、こういう成分は一切入れずに化粧品をつくりたい」そんな私の申し出に、どの製造会社の担当者も「その成分を入れなければ化粧品はできない」、「それは無理な話しです」と首を横に振りました。製造会社にしてみれば、私か「入れないで」、「これもダメ」と注文しているものは、どれも化粧品には入っていて当然の原料だというのです。こうして堂々めぐりが続きました。幸いにも、そんな私に救いの手が差し仲べられました。ようやく私の意見に賛同して、協力してくれる会社と出合ったのです。しかし、理想の化粧品づくりはここでも試行錯誤をくり返しました。とにかく肌にとって「皿ハ物」だと考えられるものは一切使いたくない、防腐剤や殺菌剤も加えたくない、それが私の理想でした。しかし、製造会社にとっては、製品の安全上、それはできない相談だというのです。たしかにそうです。たとえば、防腐剤をまったく使わない化粧品はすぐに腐ってしまい、商品として成り立ちません。理想を貫きたいという思いと、それでは商品として市販できないという現実のあいたで、私はジレンマに陥りました。いくら考えても同しところで行き詰まり、やはり自分は無理なことをしようとしているのだろうか、そう弱気になることもありました。