1968(S43)年最初の住宅建設に当たり地元多摩町は、長期的な財政援助の基本方針を求めて協議が整わず、遅々として着工するに至らなかった。しかし、都と公団がこの局面を打開するため、翌69(S44)年12月都知事と公団総裁間で「南多摩における新都市の建設と経営について」の覚書を締結したことにより、第一期の住宅建設に限り着工することとなった。この覚書では、(1)都市経営の最終責任者が東京都であること、(2)極力職住近接を図ること、(3)ニュータウンの開発と経営に関する基本方針等を確立するため「南多摩開発計画会議(次、開発計画会議)」を設置すること、等々が確認された。第一回開発計画会議は、1970(S45)年1月「新都市の基本計画及び当面の課題について」を主題に開催された。この会議の冒頭知事は、区部の都市計画との関連を密に無秩序に発展しつつある三多摩とりわけ南多摩地域全体の問題とも関連付けながら多摩ニュータウンを「職住一体化を目標として一つの衛星都市を開発する。にのため、この目標で関係者が協力し努力する。…ニュータウン内に職場を作ることは、種々の制限があるが、区域内に限定せず近傍の日野や八王子等の職場とも関連させ実現してゆく」と必要性を強調している。また、同年5月の第4回会議で、多摩町における学校施設建設に関する暫定措置を決定し、第一期住宅建設の着工が確認された。